にわかプログラマーにけやのお砂場

主に教科書的なプログラミングについて書きます。たまに趣味とか。

俺は人工知能を学びたい

どーもみなさんはじめまして。
にわかプログラマーにけやといいます。

最近流行りのディープラーニングっていうのに手を出してみたら色々思うところがありまくりだったのでこんな記事書いてみました。

そもそも知能とは?

まず知能ってなんなんでしょうか?
広辞苑によると以下のような意味だそうです。
【知能・智能】(ちのう)①知識と才能。②知性の程度。③環境に適応し、新しい問題状況に対処する知的機能・能力。(引用:広辞苑 第六版 岩波書店新村出・編)

人工知能という言葉に照らし合わせてみると②はちょっと意味が通らなさそう。
①でも間違いではなさそう……。
でもやっぱりみんなの考える人工知能とは違うだろう。

③はおそらくみんなが考えているものそのものだろう。
困った時には相談に乗ってくれそうだし、ちょっとデータを渡したらあっという間にその問題のプロフェッショナルになってそう、そういうのが人工知能だと思っている人もいると思う。

さて、その観点から機械学習ディープラーニングという文字列を見てみると違和感がちらほら……。
それもそのはず学習やラーニングというのは大量のデータがなければ成立しないのですから新しい問題状況に対処というのは少々難しいように思えるはず。

ディープラーニング機械学習について

今流行りのディープラーニング……の前にまずは機械学習の話から。

機械学習の歴史そのものはとても古く、1960年代にはすでに近傍法の記述があります。
最も、計算機自体が人間が少しでも楽をしようと便利な道具を作ってきた歴史の中で発展してきたものですから計算機に学習させることができないかどうかという研究が古くから行われていたのはある意味では当然と言えると思います。
その中で近傍法や決定木などの直感的なものに始まり、回帰やSVMなどの複雑なアルゴリズムへと進化してきました。

そして脳のモデル化というところからニューラルネットワークモデルというものができてきました。
今日でいうディープラーニングはほとんどがニューラルネットワークモデルのことを指しています。
ディープラーニング機械学習の一部ですから本質は変わりません。
データをもらって操作して評価しての繰り返し。
なんてことはない、一般的な学習の方法です。

ここまで長々と説明してきましたが、言いたいことは一つです。
これ、本当に「知能」なの?

人工知能という名前の「学習器」

みなさんの中には「機械学習ディープラーニング」=「人工知能」という等式が成り立っている人もいるかと思います。
しかし、実際には機械学習でもディープラーニングでも一つのことを学んでいるだけにすぎません。
新しい問題の状況に適応しているわけではなく、あくまで過去の事例から学んでいるだけに過ぎないのです。
これでは知能と呼ぶには少々頼りなさそうです。

無から有を生み出せなければ人工知能とは呼べないと言いたいわけでもありません。
独創でさえもその製作者の経験や背景などがふんだんに詰まっているわけですから、今まで人類の誰も成し遂げたことがないようなすごいことができるのが人工知能だというわけでもないはずです。

とはいえ現状やたらAIと評してディープラーニングなどを持ち上げる動きには懐疑的なのです。
人工知能ははたして思考をしているのでしょうか?
AIやディープラーニングといった横文字に騙されているのではないのでしょうか?
学習をすることだけが「知能」の証明なのでしょうか?

人工知能に対して高い期待を寄せるのは何故なのか。
それは神の領域だからとかそういった話ではないはずです。
人件費の削減だとか時間効率の上昇だとかそういったことが期待につながっているわけでもないでしょう。

つまりは人工知能に求められているのはドラえもん鉄腕アトムのようなコミカルでちょっと抜けたところのある、けれども人間では成し得ないようなことを成し遂げるような友達のような小英雄なのです。
ビジネスにおいてはそれ以外にも価値があるように思えますが、結局のところ私たちにとって人工知能はディスプレイ的な存在しかベンチマークとして知り得ず、ゆえに正しい評価ができないまま人工知能に用いられる技術のみをわっしょいしている状態なのです。

それを踏まえて、俺は人工知能を学びたい
たんなる学習器としてのプログラムでなく、会話を楽しむだけの傀儡でもなく、私たちの友人として、時には対立もするだろう、でもいっしょになって考えたり助け合ったりするかけがえのない隣人としての人工知能を。
夢物語のようだけれども実現するための技術は少しずつ進歩しています。

当然、人工知能の根底には機械学習ディープラーニングといったアルゴリズムがあるのは間違いのないことですし、それを学ぶことが無駄というわけではありません。
組み合わせていけば複雑な仕組みの学習器が作れるだろうと思いますし、その学習能力は人間と遜色ない、いや遥かに優れたものであることも想像することができます。
もっとも、現在の流れではあまり複雑すぎる仕組みのものは労力に見合う実装ではないとして切り捨てられる傾向にあるようですが。

機械学習ディープラーニングだけではなく言語や思想といった分野にも知識を広げていくことが人工知能に対する理解を深めることになると思います。
(理系の文系disに対するアンチテーゼも含めて)